2月3日 クラクフ→オシフィエンチム→クラクフ→





<第四日>


 この日はクラクフ旧市街の散策からスタートです。ユースをチェックアウトし、まずそこから程
近いヴァヴェル城へ。


 かつて14世紀から16世紀にかけ、ポーランド国王(ヤギェウォ王朝)の居城であったこの城
は、ヴィスワ川のほとりに建つ壮麗な名城です。縄張り内では歴代ポーランド王の戴冠式が行
われた大聖堂や、ヤギェウォ王朝全盛期の内装が復元された王宮内の展示を見学することが
できます。




ヴァヴェル城




城内にある大聖堂




城の中庭




歴史を感じさせるクラクフの街並

 ヴァヴェル城を後にし、旧市街を北へ。


 奇跡的に第二次世界大戦の戦禍を免れたこ
の街は、聖マリア教会や織物会館、円筒状の
砦であるバルバカンなど、中世そのままの街
並がとてもよい状態で残っています。





 まさに、「ヨーロッパの古都」という感じです
ね。ポーランドの”東京”がワルシャワなら、こ
こクラクフは”京都”であるといえるでしょう。




聖マリア教会




織物会館




バルバカン



 やがて旧市街を抜け、クラクフ中央駅へ。ここからローカル電車に約1時間半ほど乗り、オシ
フィエンチムという街に向かいます。雪原の中を走り抜け、列車はオシフィエンチム駅に到着。
そして駅から歩くこと約15分。。。


 そこには、かつてナチスドイツが政治犯やユダヤ人を捕らえていた、かの悪名高き強制収容
所「アウシュビッツ」が、戦争博物館として公開されていました。


 当時は高圧電流が流されていたという、収容所を取り巻く有刺鉄線。かつての収容棟内に残
された靴やカバン、義手・義足など、犠牲者たちの遺品の数々。さらには切り取られたおびた
だしい量の髪の毛。。。そして収容棟の外には、銃殺に使われたという「死の壁」や大量殺人を
行った「ガス室」などが、悲壮な歴史の重みを今日までまざまざと伝えていました。。。




アウシュビッツ強制収容所の門




収容所を取り巻く有刺鉄線




銃殺に使われた「死の壁」




遺体を燃やした「ガス室」内の焼却炉



 沈痛な気持ちを抑え、再度クラクフに戻ります。そして食事などをとりながら時間をつぶし、夜
10時半、ブダペスト行きの寝台列車に乗り込みます。車内では昨夜ユースで一緒だったJ君と
一緒になりました。いつも列車内では時間を持て余すことが多いのですが、この日は彼がいた
お陰で退屈をしないですみました。







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