10月13日 アンマン→ペトラ→アンマン





<第二日>


 朝6時過ぎに起床。昨日のうちに予約をしておいたタクシーを待ちます。約束した7時にタクシ
ーが到着。すぐさま乗り込んでアンマンより200km南の彼方、ペトラを目指します。タクシーは
一人で丸一日、80JD(約12,000円)で借り切ることにしました。

 砂漠の真ん中に設けられた「デザートハイウェイ」と呼ばれるヨルダンの大動脈を、ひたすら走り続けます。見渡す限りの荒涼とした砂漠…。自分とは何とちっぽけな存在なのだろう。このあまりにも茫漠とした風景を見てふとそう思いました。人は、失ってみて初めて失ったものの大きさや有難みに気づくといいます。例えば、普段当たり前のように水を使い捨てている我々日本人は、普段の生活において水の有難みを実感することがあまりありません。日本を離れてみて、ようやく我々がどれほど恵まれた環境の下で暮らしているかということに気づかされた感じがしました。



見渡す限りの荒涼とした砂漠

 走り続けること約3時間、砂漠を離れて小さな街をいくつかパスし、筆者はようやくお目当ての
ペトラ遺跡に到着。ヨルダン屈指の観光地として知られるここペトラ遺跡は、今回のアラビア旅
行の、言わば前半戦のハイライト。この遺跡が広く知られるようになったのは、アメリカの人気
映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のロケ地として使われて以来だそうです。ミステリアス
な神殿を舞台に繰り広げられたインディ・ジョーンズの活躍に胸躍らせた映画ファンも多かった
はず。特に今年は同シリーズの最新作が発表されるなど、「インディ復活」が叫ばれており、リ
バイバルブームに乗ってここを訪れる観光客も増えているといいます。

 タクシーの運転手に、4時間後に迎えに来てもらうことを約束し、チケットを買って入場開始。
水分がまるでないので敷地内は大変埃っぽい感じがしました。シークと呼ばれる岩の裂け目の
ような道を歩くこと30分…突然視界が開け、黄金色に輝く見事な大神殿が姿を現しました。


「エル・ハズネ(宝物殿)」。




大神殿「エル・ハズネ」




 かつてはここに本当に宝物が隠されていると信じられていたといいます。この遺跡が建設さ
れたのは紀元前1世紀。砂漠の遊牧民としてこの地に栄えたナバタイ人によって造られまし
た。のちにローマ帝国に併合され、幾度かの変遷を経ていくうちにその立地の困難さからいつ
しか「忘れられた幻の都」となっていったそうです。その後はるかに時代が下った19世紀にヨー
ロッパの探検家によってその存在が知られるようになりました。


 遺跡内には他に大寺院跡や凱旋門跡、円形競技場、エド・ディル(修道院跡)など見所が目
白押し。またレストランや休憩所、トイレなども完備され、丸一日がかりで見学してもさほど不便
を感じさせないような配慮がなされています。



大寺院跡




こちらは円形競技場



建ち並ぶ柱廊




エド・ディル(修道院跡)



アイン・ムーサ(モーゼの泉)

 気が付いてみたら、約束の時刻が迫っていました。入場口に戻り、タクシーの運転手と合流します。


 運転手にリクエストし、帰路に立ち寄ってもらったところがペトラから程近いアイン・ムーサ(モーゼの泉)。



 ここは旧約聖書において、モーゼが岩を杖で打ったところ、水が湧き出たという泉があるところです。そういった伝説が今もなお残っている所に、ここは実に歴史的に意義深い場所であるんだなと改めて思いました。


 アイン・ムーサを後にし、タクシーは再び荒涼とした砂漠地帯を駆け抜けていきます。


その後部座席で、筆者はゆっくりと目を閉じながら、神秘の都で見た光景を静かに回想するの
でした・・・。







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