10月14日 アンマン→カイロ





<第三日>


 ヨルダン観光の最終日となったこの日は、投宿していたホテルから程近いアンマン市内の名
所巡りを楽しみました。




 まず最初に向かったところがキング・フセイン・モスク。ここは7世紀、イスラム帝国時代に建てられたモスクを起源とするアンマン市民の信仰の拠り所です。現在の建物は20世紀初頭に建て直されたものだそうです。二本の高いミナレットがシンボリックであり、寺院の内部では熱心に祈りを捧げるイスラム教徒たちの姿を常に見ることができます。














 モスクからはここより東に数百m行ったところにあるローマ劇場へ。ここはローマ帝国の支配を受けていた2世紀に建てられたという半円状のシアターです。現在では入念に修復がなされ、野外コンサート場として使用されています。スピーカやスポットライトなどの設備も備えられていました。







キング・フセイン・モスク



現在もコンサート会場として使われているローマ劇場




 さらに筆者は、ローマ劇場に隣接して設けられたヨルダン文化博物館及びヨルダンフォルク
ローレ博物館を見学。アラブの民・ベドウィンたちの伝統的な生活様式や文化に触れます。


また、この劇場周辺にはコリント式の柱廊が建ち並ぶフォーラムや、「小型版・ローマ劇場」と
いった雰囲気のオデオンなども存在し、訪れるものをはるか遠いローマ時代へと誘ってくれま
す。



コリント式の柱廊が建ち並ぶフォーラム




こちらはオデオン



 その後は小休止を挟み、ジャバル・アル・カラアと呼ばれる市内にある丘の上へ。息を弾ま
せながら丘を昇り切ると、かつて要塞として機能していたというアンマン城の跡地にたどり着き
ました。現在では、三本の円柱を残すヘラクレス神殿や、ビザンチン時代、ウマイヤ朝時代の
遺構などが往時の繁栄を偲ばせてくれます。



アンマン城跡に残るヘラクレス神殿




古い時代の遺構も残っている



宝物のありかが示されているという死海文書




 アンマン城からは僅か道一つ隔てられた所にあるヨルダン考古学博物館へ。


 


 ここはヨルダン各地で発見された出土品が、年代順に所狭しと並べられてあります。ここでのお目当てはかつて死海西岸のクムランで発見されたという「死海文書」。



 宝物のありかが示されているというらしいのですが、正確に解読されておらず、宝物は未発見のままだそうです。


 市内観光を終え、ホテルに戻ってクラークに別れを告げます。その後はセルビス(乗り合いタ
クシー)、バスと乗り継ぎ、2日ぶりにクィーンアリア空港へ。チェックインの手続きを済ませ、ロ
イヤル・ヨルダン航空のカイロ行きへの便を待っていると、一人の日本人学生・A君に声をかけ
られました。聞くところによると、現在世界一周旅行を敢行中とのこと。今まで東南アジアを周
り、これからアンマン経由でエジプトに向かうと言います。なんとも羨ましい限り…。


 筆者たちを乗せた飛行機はほぼ定刻どおり空港を飛び立ちました。機は直接カイロ方面に
は向かわず進路を南に向けます。イスラエルの上空を飛ぶことを避けるためです。こういった
経験をすると、この地がまだまだデリケートな問題を抱えていることを実感させられます。また
機内に設けられたスクリーンに常時、イスラム教徒にとって重要なメッカの方角が表示されて
いたことも印象深かったです。


 ゆっくりとする間もなく飛行機はエジプトのカイロ国際空港に到着。A君と共に入国カウンター
に向かいます。空港には何本かの長い列ができていました。ここエジプトは、入国時に15USド
ルを払ってビザを買わなければなりません。筆者たちもその列に加わり、ビザを買って入国を
果たしました。


 空港ターミナルを出ると、すぐさまタクシーの客引きがやってきます。どの客引きも初めは高
い金額をふっかけてくるので思い切り値引き交渉を仕掛けます。これも外国旅行の醍醐味の
一つと言えるでしょう。やがて、とあるドライバーと金額が折り合い、A君と二人でカイロ市内
へ。筆者は日本で予約しておいたホテルにチェックインし、A君はそこから程近い安ホテルを宿
にしました。


 再び一人となって部屋のベッドに横たわります。日はとっぷりと暮れていたが、窓の外の賑や
かな喧騒が、この街の底知れぬエネルギッシュさを、何よりも雄弁に物語っていました。







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