10月16日 カイロ→ドバイ





<第五日>


 ホテルを出発し、ここから程近いエジプト考古学博物館へ向かいます。朝寝坊してしまった
為、博物館内は多くの観光客グループで一杯でした。しかしながら、展示内容ももちろん充実。
数多くの石像や石棺、ミイラなどエジプトならではの展示物が所狭しと並べてあります。だが、
ここでの目玉はなんと言っても「ツタンカーメンの黄金マスク」。筆者もその目映いばかりの輝き
には目を奪われました。



エジプト考古学博物館




展示内容ももちろん充実



 ひとしきり見学を終え、そろそろ帰ろうかと思っていたところ、一人の係員に声をかけられまし
た。この博物館は原則的に写真撮影が禁止なのですが、今なら特別に写真を撮ってもいいと
いいます。それならばと二、三枚撮影したところ、案の定バクシーシ(チップというか寄付のよう
なもの)を要求されました。現金を渡すつもりは毛頭なかったので、すかさず日本から持参した
三色ボールペンを渡します。係員はそれに満足したのか、筆者のもとを去っていきました。


 考古学博物館を後にし、流しのタクシーを拾います。カイロ市内を走るタクシーは、その殆ど
が年台モノのポンコツ車です。窓を開閉させるレバーが壊れていたり、シートが汚れていたり等
というのは当たり前で、このタクシーも例外ではありませんでした。博物館より5kmほど南東に
あるムカッタム地区へ向かいます。始めに運転手は25ポンド(約500円)と言ってきたのですが
高いので無理矢理(?)11ポンド(約220円)に負けさせました。しかし、それではあまりにも気の
毒だったので、またも3色ボールペンをプレゼントしてあげました。


 一悶着あったタクシーを降り、着いた所がシタデル(要塞)。ここは12世紀後半、十字軍の大
群を打ち負かし、のちにアイユーブ朝を創設した砂漠の英雄・サラディンによって築かれまし
た。周囲を取り囲む重厚な門は歴史を感じさせてくれます。入場券を購入し、早速見学開始。
まず始めに向かった所が軍事博物館。ここは中世の時代から第二次大戦、さらには中東戦争
などエジプトが絡んだ戦争にかかわる展示が大変充実しています。とりわけ「オイルショック」の
原因を招いた1973年の第四次中東戦争の展示には興味を引かれました。



シタデル内に残る重厚な門




軍事博物館

 続いて足を向けた所が、ガーマ・ムハンマド・アリ。ここはオスマン=トルコの支配下に置かれ
ていた19世紀の半ば、エジプトを制して総督となったアルバニア出身のムハンマド・アリに因ん
で建てられました。二本のミナレットを備えたその威風堂々たる姿はさながら、本家・イスタンブ
ールのモスクを髣髴とさせます。内部の壮麗さも必見。熱心に祈りを捧げるイスラム教徒たち
の姿も見ることができます。



ガーマ・ムハンマド・アリ




スルタン・ハサン・モスクよりカイロ市内を望む

 その後はイスラーム地区のスルタン・ハサン・モスクなどを横目で見やりつつ、徒歩にてカイ
ロの中心街へ戻ります。人口800万とも1000万ともいわれるカイロの市街は、いつも人であふ
れかえっています。「混沌」という言葉がこれほど似合う街はないのではないでしょうか。途中で
小休止を挟みつつ、何とかホテルに到着。預けていた荷物を返してもらい、タフリール広場か
ら空港行きのバスに乗ります。しかし、行き先表示が不適切であったため、市内のあちこちを
を経由していく遅いバスに乗ってしまいました。そのため通常なら30分もかからないところを1
時間以上かかってしまい、やっとの思いで空港に着いたものの何と「オーバーブッキング」の宣
告を受けてしまいました…。結局、予定していた飛行機には乗れたのですが、エジプトに対す
る後味の悪さが残ってしまったのが残念でした。

 カイロからは空路・UAE(アラブ首長国連邦)のドバイへ。約2時間半ほどのフライトです。到着
は夜の11時を過ぎていました。そのため、入国審査を終え、何とかタクシーを拾って予約して
おいたユースに着くころには軽く12時を回ってしまいました。早々にシャワーを浴び、そそくさと
自分のベッドに潜り込みます。明日は、早朝からスケジュールが入っているのでした・・・。







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